叔母達より他人と会っていた方が断然当時ましだったと思うが、当時、他人が良いと思っていた記憶はない。何故?
叔母達から、
お前らには味方が誰もいないだろう。
助けてくれる人が誰もいないだろう。
みないに完全にバカにしているのを感じていた。ザマアミロみたいな。
だから、誰も文句を言う人がいないから、私たちには何しても良い。
サンドバッグ状態
冷たくあしらっても、何しても良いと思っているのを感じて、とにかくその悪意の塊の思いを強く感じていたので怖がっていた。
幼児期の頃のことを思い返すと、一番憂鬱だったこと、怖がっていたこと、嫌だったことが親戚の家に行くこと、会うこと、特に叔母だった気がする。
本当は。
怖がっていたのは、おば二人。と毒親。
でも、毒親は当時幼児期から、物心がついた時から攻略できていた、当時すかれていると思っていたけど、
何とか攻略できていたが、叔母二人は攻略できなかったので、本当は当時不思議に思っていた。
けど、その本心は自分には隠していたが。
悪いこととして。
悪い考えだからと。
無意識に。
毒親に対して悪い、嫌がる、バカにされる考えだからと自分にも自分の本心を隠していたので、自覚はなかった。
完全に、毒親が主導権を握っていて、王の様な存在で、バカにされることを恐れ、自己肯定感がなくなるから?自分は完全に僕の様な、奴隷の様に思い、存在で、そう考えてはいけないと、自分の本心をい小さくなって隠していた。
そう、攻略できないことを実は幼児期から不思議に思っていたので、その点でもとにかく悩み、どうにもできない、当時攻略できないことで、悩みだったし、本当に憂鬱な嫌なこと、怖いことだった。
実は。
でも、嫌と思ってはいけない。
毒母の脅迫で。
叔母達と会うのと、他人と会うのとでは明らかに他人の方が当時は良かったと思うが、当時、他人の方が良いとか、こっちの人が良いとか思った記憶が全くない。
何故?
どう思っていたか?
他人も、全く可愛いがられてとか、私が好きだった、嬉しかった、よくしてもらったと言う人はいなかった、喜んでいた記憶はないが、でも、まあ普通だったと思う。
一人でも、可愛がってくれたと思える人、好きな人がいれば、ここまで人間嫌いにはならなかった、少しは救われたかも。
でも、まあ、他人で怖いと思う人はいなかったので、あいつらよりも増しだったと思うのに、断然良かったと思うのに、そう思っていた記憶がないが何故か?
どう思っていたか?
叔母達は可愛がられていると思っていた、嫌ってはいけないと思っていた、他人はこっちが良いなんて思うわけがない、嫌ってはいけないから、叔母達を。
それに、自分の意思、視点で物事を全くみない、思考回路がない。
私のいしなんか私にとってどうでも良いことで、とにかくどうするべきかと、毒親の思い、願いばかりを気にしていたのでは?
夢遊病者の様に。
自分の感情がない?
傷つく度合い、傷つけようと言う意思、ぶっ殺したいと言う憎悪の念を強く感じたから異常に怖かったのでは?
毒叔母達、親戚達よりも他人の方が一緒にいて良かったはずなのに、当時そう思っていた記憶がない。何故か?
私の幼少期で一番恐怖に思っていた人、憂鬱だった事、人、とにかく怖がっていた人は、母方の叔母二人と、めったに会わなかったが、母方の叔父一人(この人は大阪に住んでいて、幼稚園ぐらいまでに何度かと小学校低学年くらいに1度くらいしか会った事がないから、まだ良かった。被害が他の叔母より少ない)
他の人、学校や近所で会う人や父方の叔父や叔母や従姉妹(年が私たちよりかなり上だったのですでに大人だった。当時)に対しては、あんなに恐怖心を持っていなかったが、母方の兄弟特にあの二人。叔母二人に対して異常な恐怖心を持っていたのは、何故か?
他の近所や学校で会う大人や人には全く恐怖心を抱いていなかったのに。
父方の親戚達にも。
ものすごく嫌だったのは、母方の兄弟や親。要するに、私の叔母や叔父、祖父達。
恐怖心を持っていたのは。
母方の兄弟は、特に叔母二人は、私たちに対しての、ものすごく憎悪の念を感じていた。
当時。
こうさせたいという、自分の自信のために絶対に殺したいという、私たちに対する依存性、それが自分の自信につながる、命に繋がるから恐怖心からのいい気になるなという、このまま上に行くなという、気に入られて面白くないという、憎悪、意地の悪さ、姉をわざと贔屓してみせるという私たちを嫌う念をものすごく強く感じて、
ぶっ殺したい、死ね(精神的に)、姉と同じようになれという、そうする事で自分たちは喜び、自信につながるというそれによっての自分の命、自信がかかっているから絶対的にそうさせたいという、私たちをこうさせたいという強い念を感じて、操作したいという念を感じて恐怖に思っていたと思う。
近所の大人や幼稚園、学校などでの大人はもちろん全く私に対しての憎悪の念やこうさせたいと、操作したいと思っている様な人はいなかったので、全く誰にも恐怖心を抱く事はなかった。
むしろ、他で会う人は皆、特に幼い頃は好意的な思いで近づいてきてくれていたので、恐怖心を持つ事はなかった。
全く。
だから私は、ずっと他人が好きなのだと思う。
家族というものがこの世で一番怖い。
だから結婚なんか絶対にしたくないと若い頃から思ってきた。
他人がこの世にいなかったら、私の心は完全に死んでいた。
殺されていた。
他人の存在があったからなんとか生きて来られたと思う。
が、毒親達は、自分たちのお陰で大きくなったのだから感謝しろと、感謝を要求する。
そして私は毒親のいう通りに感謝をしなければいけないのかと、感謝をしない私がとんでもない悪い人間の様に思い、毒親を上に思い、自分が卑屈、下になっている。
完全に、生まれた時からこの関係なので、洗脳されている。
今思うと、他人の方が嬉しいはずだったのに、あまり、どう自分が思っているとか当時、気にした事が全くなかった様に思う。
明らかに、親戚よりも他人の方が良かったはずなのに。
自分が好きか嫌いかとか、そういう自分視点で物事を考える思考回路が全くなかった様。
私の意思を自分の中で注視する思考回路は全くなく、他人にどう思われるべきか、好かれなければいけないというそうしないと、毒母は私を認めないから、それに必死だった?
命、自分の価値がイコールとなるから?
完全に受け身?
それよりも、怖がってはいけないとか、嫌ってはいけないとか、どうするべきか、どう考えるべきかばかり、毒母の望みばかりを、何が望みか、どうして欲しがっているか奴の考えばかりを気にしていたのかもしれない。自分がどう思っているかは全く無視して。
毒母がそれを望んでいるから。
嫌と当時気づいていないから。
叔母のことを自分が嫌だと思っていることに。
何がいいとか、自分の意思に全く気づいていないというか、無視している。自分の中で自分の意思はどうでも良いことになっている。
それに嫌ってはいけない、毒叔母が嫌がるからと毒母が脅迫するので(はっきりとそう口には絶対に出さない。そんなこと言っていないという逃げのために。遠回しでそう思わせようとする。)そう感じていたので、絶対に嫌がってはいけないという脅迫の思いを。それを感じて嫌ってはいけないと物心がついた時から思っていたので、何をされても絶対に嫌ってはいけない、
尊重しなければいけないと考えていた。
全て人に気持ちを一番に、自分のことはどうでもよくて自分の気持ちはどうでもよくて、他人の気持ちを、害さない様に考えなければいけないと思っていたので、自分が嫌っていること
にも、そう考えていることにも全く気づいていなかった。
自分の意思に全く気づいていないというか、そんなもの自分の中ではどうでも良いことだったので、あの人が嫌いとか良いとかの本心に注視すること、きにかけることが自分の中で全くなかった、意思を全く無視していた。
どう考えるべきか、どうするべきか、毒母は何を望んでいるか、そればかりを考えて、計算して生きていた様に思う。物心がついた時から。
毒叔母よりも、親戚たちよりも他人の方が断然私にとって良かったはずなのに、当時、そう認識していた記憶が全くないのが不思議。
当時の考えは?
嫌ってはいけないと思っていた。
毒叔母のために可愛がられている、よくしてもらっている、感謝をしなければいけないと毒母から脅迫されていたので、そう感じていたので、その考えを感じていたので、そう思わなければいけないと思っていたので、本当にあれで、あれが可愛がっていると、私は可愛がられていると叔母達に、親戚たち全員に。
よくしてもらっていると、感謝しなければいけないと大人になっても、ずっと思っていた。
あれで可愛がられていることだと。
よくしてもらっていると。
完全に親戚達よりも他人の方が当時ましだったと思うが、当時、そう思っていた記憶が全くない。何故?
当時どう思っていた?
叔母達のことは可愛がられているとあれで、思わなければいけなかったし、そう毒母に脅迫されていたので、大人になるまでずっと可愛がられてきたと、よく思っていたし、毒叔母の気持ち嫌がらないために、気分をよくするために、
自分の意思が当時全く、なかった、感情が全くなかったから?自分の中で。
本心がなかった。何が本心か、自分にも全く気づいていなかった。
学校に行ってからは、〜しなければいけないばかりで、毒母の思いから、何をしても義務感で全く楽しくなかったが、楽しめなかったが、幼児期も他人の方が良いと思っていた、感じていた記憶がない。何故?
島根の毒叔母より大阪の毒叔母を怖がっていた幼児期
叔母二人のうち、特に大阪の叔母の方を怖がっていた様に思う。
なぜなら、毒母がそっちの方を上に見ていた様に感じていたから?
理由は都会に出ているから。
田舎者をバカにして都会で暮らしている人の方が上という考えを持っていて、島根県に住んでいる叔母よりも都会に住んでいるから自分よりも上という考えを持っていると感じていたから、大阪の方が私も上だと思っていた。
大阪の叔母もそう思われていることを感じて、自分は都会に住んでいるから自分の方が上として、田舎者よりもということで島根の叔母よりも上と思っている様だった。
毒母が島根の叔母よりも都会の叔母の方が、田舎者よりも上と見ていると感じたから、上と見ていたし、大阪の奴もそう思っている様、自分が上で毒母たちはしたと思っている様だったから、ものすごく偉そうにしていたので大阪の奴が上なのだと思い、見下しているので、偉そうにしているので、偉い人間として思っていた。
プラス、多分、親に優劣をつけられて育ち、贔屓されて育ったので、兄弟間で競争心の様なものがある様で、大阪のおばが一番3人の中で親に贔屓されて育ったらしく、それによって、自分が一番上だと姉妹に対しての、訳の分からない優越する思いがある様に感じた。
なので、自分が一番上だという。人として。
それによって、自分に自信が持てるという。
だから、とにかく偉そうで、私たちに対して、で、自分が上だから、姉妹間で、だから私には、お前はそんな身分の人間じゃないと、そんな立場の人間ではないと、いい気になるなと、上にいくことを恐れていて、冷たく接する。姉の方を可愛がってみせる。贔屓してみせるという嫌がらせをしていた様に思う。
その意地の悪さを感じて、又、人としての異様さを感じて怖がっていた様に思う。
大阪の方を。
何で大阪の方を怖がっていたのか?
偉そうにしていたし、私たちに対してのあたりが強かった、きつく感じたから、絶対に上に行くなという供養ふ真からのそうおの年、お前はそういう立場でないと、あいつの娘だからという憎悪の念を強く感じたから?
自分が一番上だったからという。
その地位が危ぶまれるから、絶対にお前はいい気になるなと、殺したいという憎悪の念を感じたから?
自分が一番上なんだという思いから、お前はそんな身分じゃないという思い、殺したい、潰したいという強い思い、嫌がらせの思いを感じたから>
とにかく偉そうで上から目線で、自分が上という、殺したいという思いを感じたから?
怖がっているのを感じて、自分が偉くなった様で、強くいられることで喜んでいる、自分を強くん見てくれているのを感じて、その相手には強くいられる、こんなの初めてと、人生バラ色とそこで初めて自分に自信が持てることが嬉しくてたまらないという、その怖がっているのを感じて、自分は強い、=明るい人間となれることが嬉しいと、その怖がってくれていることで、自分が強いと思えることが嬉しい、その相手には強くいられると喜んでいることで、その人間が強いと毒母が思っていると感じたので、
毒母が、大阪の方が強い、偉い、偉そうにしている、自信を持っている、喜んでいるのが強い、明るい、として見ていた、喜び度も上で、より自信が持てるとしていたから怖がっていたのかも。
大阪の方が怖いと思っていて、怖いと思われていると感じるほどに嬉しい、自信が持てるから、で、余計偉そうにする、より自信が持てるから大阪の方を怖がっていたのかも。
私らが大阪の方を怖がっていたから、大阪の方がより自信をもち、喜んで、偉そうにしていたのかも。で、余計に怖がると。
私たちが自分をどう思っているかで奴らは自分に自信が持てるかどうかが変化する思考回路。
私らが怖がる度合いによって、自信が持てるから喜ぶ。
で、よりパワーを増して、私たちは怖がるという構図かもしれない
全部、相手が自分をどう思っているかを感じて、偉そうにするとか、卑屈になるとかがある気がする。
相手が偉そうにしてると、弱くなり、相手が自分を上と認めているとデカくなる。偉そうにする。
絶対に私に明るく堂々と生きる人間に育って欲しくない毒叔母たち。そう育つことを恐怖に思っている毒叔母たち。
特に叔母2人が物心がついた時から怖くて仕方なかった。
私が7歳の時に家を建ててから毎年お盆とお正月に我が家に家族全員で来ていたが、それが憂鬱で仕方なかったし、正直来て絶対的に欲しくなかった。
とにかく憂鬱、うつ病になりそうなぐらい嫌だったし、とにかく憂鬱なことだった。
その時の人生で一番嫌だったことが親戚に会うことだった。
子供の頃を振り返ると。
同じ島根県内に住んでいるおばも同様の人間で、幼少期から会うのが嫌で仕方なかった。
近くに住んでいたので、お盆や正月以外にも会っていたし、家に来ていたがとにかく会うのが憂鬱で仕方なかった。
そう、今振り返ると、当時、幼少期の一番嫌だったことが親戚に会うことだったと思う。
特に叔母二人に。
家は、当時本当は怖かったと思うが、嫌とかなんとか思うことは全くなく、そんな感情を生まれた時からあの家なので、そんな感情を持つ以前、
家はなんとか攻略できていたが、叔母は攻略できなかったので幼少期からふしぎに思っていた様に思う。本当は。
そう、私にとって、人付き合いは毒親との付き合いからいちいち攻略するものと思っていた様である。
そういうものと。
とにかく、叔母二人が一番幼少期怖くて怖がっていた。
それは、姉も怖がっていると感じていたから私もそれを感じて怖くなっていたと思う。
なぜあんなに怖がっていたか?
とにかく意地の悪さを感じていたから。
私らに対する。
私らのことが大っ嫌い、完全に上から目線で、憎しみを感じていたから。
その人としての異様さ、叔母、実の叔母なのに、あの感情を持っている人としての異様さを感じて怖かったのだと思う。
特に幼児期は、異常に怖がっていた。
そう、毒父に対する恐怖心と似ているかも。人としての異様さを感じて異常に怖かった。
本能的に。
あの叔母二人はそっくりで、私が毒親から、毒父から気に入られていることが面白くないという感じで、贔屓されていることで私が自分に自信を持つ、明るい人間に育つことが恐ろしくて仕方ないという感じだった。そのことに恐怖を感じているという。
毒母は私たちによって自分のクソ人生を自信のあるものに変えたいという、自分に自信を持ちたいという、私たちの人生を自分の人生の様に依存していたので、それによって自分の自信を持てるかどうかにかかっている、人生を賭けている様な、だから、私たちが世間に優越できること、自慢できる人間になることに自分の人生を賭けているのを叔母たちは感じて、そうなると、今までは自分たちが上だったのが立場が逆転すると(多分親に優劣をつけて育てられている。贔屓をされて育てられている。実はひどく傷つけられているがそのことに気づいていない)
毒母に娘のことで自慢されて、自信を持たれるのが自分たちに優越されるのが恐ろしくて、絶対にそれを阻止したいと、
毒母に対する、毒母の願望を阻止するために、思い通りにさせたくないため、
私たち娘が自慢できる人間になると、毒母の株が上がるから。
そう、毒母への嫌がらせのために私たちを思い通りにはさせたくないという、自分たちの自信にかかっている、人生がかかっているから、絶対に阻止したいという強い怨念、執念、思いみたいなものを感じてとにかく恐ろしかった。
だから、私は親に贔屓されている、私は親に明るい人間と思われていのを感じて、(姉と比べて)親に普通の人間と思われているのを感じて、叔母たちは脅威を感じて、面白くないと、嫉妬心みたいなものを感じていた。親に気に入られているのが面白くないと。
そしてこのまま、毒母が望む様な人間、毒母が自分に自信をま乙、自慢に思える、優越する様な人間に育つことが怖くて、絶対にその思い通りにさせてくないという、阻止したいという思いから、いい気になるなと、このまま明るい人間に育つなと、自分に自信を持つ人間に育つなという強い嫉妬心、ぶっ殺したいという強い憎悪みたいなものを感じてとにかく恐ろしかった。
姉はもう死んでいる、暗い人間だからOKだが、私は違うと思っている様で。
だから、絶対に阻止したいという思い、憎悪を感じて怖がっていた。
そして叔母二人は今思うとそっくりな行動、言動をしていたのだが、私の前ではわざと姉の方を贔屓して、(私への嫌がらせの為に。当てつけの為に)姉の方へ優しく接しようとする意地の悪い意思を感じていたので私は物心がついた頃からすごく怖がっていた。
私が親に気に入られているのを感じて面白くないからと、私を阻止する為にわざと姉の方を贔屓するという、私を傷つける為、暗い人間にさせるための嫌がらせをわざとするという、根性を感じてとにかく怖がっていた。
私たちと話す時もとにかく偉そうで、特に大阪に住んでいる叔母がとにかく偉そうで、私たちと話す時は、上から目線。
大阪という都会に住んでいることだけで、すごいこと、えらいこと、尊敬することの様に毒母や毒祖父たちは思っている様で、自分たちは島根県という田舎に住んでいることで、自分たちの方が下で、都会に住んでいるだけで上の様な考えを持っていて、田舎に住んでいることを卑下しているようだった。
だから、自分たちは田舎に住んでいるから下だけど、叔母は大阪に住んでいる、都会に住んでいるから上という考えを持っていたから、叔母たちをすごい人間の様に思っている様で、自分たちを下と考えている様だった。
叔母も自分は都会に住んでいるから上として、私たち田舎暮らしだからと馬鹿にして自分の方が上として上から目線で威張り腐っている様で、毒母も自分が下で、都会の人は上とみていたので、私もそうなんだと、そういうものなんだと思っていた様に思う。
田舎者をバカにす様な考え。
大阪の叔母は、多分、毒母より上だと思って育ってきていた。
自分の親に優劣をつけられて。
叔母の方が贔屓されて育ってきた。
だから自分の方が毒母より上だという思いがあり、お前はそういう人間じゃないんだと、お前は下の下僕の人間なんだという様な感じで、私に対して、親に気に入られているけど、下僕なんだという感じでものすごい自分が上なんだという感じで、絶対に上に行くなといい気になるなと、私が明るく育つのを恐怖心を持って、ものすごい上から目線で、偉そうで接してきていたので、とにかく恐ろしく、恐怖に感じてそして叔母は偉そうだから、えらい人間の様に毒母は思っていたので、その様に、そうなんだと同様に私も思っていた。
そして、私らの前では、偉そうで、嫌味ったらしい叔母だったので、いじめられる、自分を上に見てくれる人間、それによって自信を持てる、自分を認められて、こんなの人生で初めて!という様に非常に喜んでいたので、それを明るい人間として、元気な人間として毒母は思っていたのを感じて、だから、あれで明るい人間なのだと、内容は関係なく、喋れば明るい人間なのだと思っていた。
で、叔母は明るい人間で(私たちの前では偉そうで、上から目線で、完全に下に見ている、いじめられる人間、自分を怖がっている人間、上に見てくれる人間ができたことが嬉しくてたまらない、こんなの人生で初めて!と喜んでいるからこれが明るいとして毒母は思っている様だったので、私はそうなのだと、叔母はあれで明るい人間で、嫌味だろうがなんだろうが、喋れば明るい人間なのだと、で、私は怖がっているので、暗い人間として、バカにしていたので、私は怖がっているから暗い人間なのだと思い、自分がダメ人間の様に思い、自己卑下していた。
そして、おばや、毒母は怖がっているからとバカにしていたので、それを感じて、毒母たちに対して、小さくなっていた。私はバカにするべき人間、ダメ人間だからと。引け目に感じて、萎縮していた。
そしてそう見て、いかにも自分たちは上として喜んでいる毒母たちに対して、完全に小さくなって、萎縮していて、自分たちが悪いことをしている様で、バカにしている、偉そうな毒親たちに対して、向こうが上として、こっちはしたとして卑下していた。
そう、自分たちが悪いことをしている様で、ダメなこと、バカにするべきことをしていると思い、怖がっていることで弱虫と見ていたので。
怖がっていることは弱虫なので、それは一番バカにするべきことなので、そうやって怖がっている自分や、毒叔母たちに対して萎縮している、怖がって、自分が下になっている自分は弱くてダメなのことなので、その事実を自分に認められなくて、自分の本心を自分にもずっと隠してきた。
絶対に認められない事実だった。
ずっと、あの二人は偉大な強い明るい人間としてずーっと上に見ていたから萎縮していた、偉大なすごい人間像に思っていたから、不思議でしょうがない。
毒母が私たちたちが異様に怖がっているのを感じて、だからあの二人は強い、明るい、すごい人間として思っていた様。
毒父と同じ様に。
いじめる人間が強い、明るいという世界。
オウム真理教が話題になった時に、家と同じと思っていたが正に似ていると思う。世界が。
キチガイほど偉大とされる世界。
そう、毒母は、私たちが怖がっていることを感じて、おばたちは、強い、怖い、明るい人間として完全に認めていると感じていたし、怖がっているから私たちは弱い、くらい、ダメ人間、下に見ていたので、私も、叔母たちは強くて、明るくて、偉大な人間の様に、毒母が思っているのを感じたままに思い、怖がっている私は、弱くて暗い人間、下に見ていた。
そしてそんな人間であることはダメなので、強くて明るくないといけないから、そんな人間である自分がダメ人間の様に感じて自己卑下して、そう思っている事実を自分に隠していた。
人を怖がる=暗い、弱い人間で人として認められないから、自分はそんな人間ではないと思うため、認められないため、自分にもその本心を隠していた様に思う。
その事実が自分に認められなかった様に思う
毒親に贔屓されている私が憎たらしい、私が明るく、堂々と普通に生きる人間になるのが恐ろしく、それを阻止したい毒叔母たち
とにかく絶対にお前は上に上がるなという、いい気になるなという毒叔母たちが怖くて仕方なく、会うのが憂鬱で仕方がなかった。
毎年お盆と正月に島根の実家に大阪から毒叔母は帰省してきていた。
もう一人の叔母は、近くに住んでいたので、実家にお盆とお正月に来ていたし、毒親が家を建ててからは毎年毒叔母たちが来ていたが、とにかく毎年、お盆と正月が嫌で仕方なかったし、叔母たちに会うのが嫌で、憂鬱で仕方なかった。
本当にうつ病になりそうなぐらい嫌だった。
でも、そう思っていることを自分にも隠してきていたので、自覚していなかった。ずっと。
姉も会うのを嫌がっているのを感じていた。
が、そう感じていることを自分にも隠していたので自覚していなかった。
とにかく会うのが憂鬱だったのに、そう思っていることを自分にも隠していたのは、そう思ってはいけないと、嫌がってはいけないと毒母が責めるから。
もちろん、口に出してはっきりと毒母は自分の本心を言わない。
はっきりと言わないから、自分はそんなことは言っていないと逃げ道を作る、そのために言わないが、そう思っていること、そうさせようと遠回りに、嫌味などでそう思わせようとする。
その自分の思いを伝えて、思い通りの思考をさせようとする。
だから、それを受けて、はっきりと口に出して言われていないからそんなことは毒母は言っていないと、私がおかしいと毒母が責める様に自分がおかしい様に思っていたが、口に出してはっきりと言われなくても、遠回しに言われたり、他の言葉などでそう感じたのだから。
そう、私がそう感じたこと。
そう思っていると。
それをどうのと言われても、私がどう感じたかということは事実なわけなので、他人が否定するものではないと思う。
そうやって、私がどう思ったか、感じたかまで善、悪でいちいち文句を言ってくるのが毒母。
よって、私がどう思うべきか、どう考えるべきかとばかりに考えて、自分の本心が自分にも全くわからない人間になったのではないか。
私がどう感じたかは、1つしかないはず。それは私にしかわからないし、人が他人が、どうのと判断することではない、思考の自由まで奪う権利は誰にもないはず。
私が私で無くなる。
私の意思が全く自分にもわからないと。生きている価値、意味が全くない。
完全なる毒母の都合の良いロボット。
だから、嫌っているということ、会いたくないということを自分にも隠してきた。
そんなことを思うと、毒叔母たちが嫌がるから。
悲しむからと毒母が私たちを責めるから。
責めると思うから。
会いたがっているのに!と。あれだけ可愛がっているのに。よくしてくれているのに!とそう思うこっちがとんでもなく悪者の様に責めるから。
毒母の望む理想の家族、普通の家族と世間に示す、毒叔母が望む家族、仲良し家族ができなくなるから。
だから嫌という思いは、自分が悪いことを思っていると思い、毒叔母たちにとって、嫌な思いをさせるから、自分にも隠してきた。
それに毒親たちを怖がっていることは弱虫だから、そんなん自分と思えずにいたから、自分にも隠していたと思う。
そしてやたら毒母は叔母に合わせたがっていて、行くのが嫌で仕方なかったが、嫌とは絶対言わせなかった。毒母たちは。
姉もすごく嫌がっているのを感じていたので、私もすごく嫌だった。
けど、会いたくない、行きたくないとは絶対に言えなかった。
姉は完全に毒親にいじめられて、何も言えない状態だったので、何をされても我慢していたので、何かが言えるわけもなく、
ましてや行きたくないなんて言ったら、毒父に何を言われるか、想像がつく、とんでもないクソ人間扱いをされて益々嫌われるので、反論なんかできる環境ではなかった。
なので姉が何かをいうことは絶対にない。
私も嫌なんていうと、絶対に毒叔母は会いたがっているのに!とんでもないやつ!と毒母に非難されるのがわかっていたので、毒父も嫌がるので、無理な要求として最初から望みもしなかった。自分の中で。
絶対的に合わなければいけないことと思い、物心がついた時からなので、毒叔母や毒祖父たちと会うのは。
というより、生まれる前から会っているので。
もう、合わなければいけないこととして、やたら合わせたがっているのを感じていたので、絶対に合わなければいけないことともう、最初から諦めていた。願望を持つことすら諦めていた様に思う。
人生に絶望しきっていたと思う。
何も自分の願いは叶わないと。
毒叔母達に異様に憎まれていた幼少期。毒叔母たちに恐怖におののいていた幼少期
毒母が毒叔母が私を嫌っているから、私を認めないと感じてどう思っていたか?
それを感じていたが、そのことを当時自覚していたか?
毒母が私の価値を存在をジャッジする立場の人間、叔母もその上に私のことを評価、ジャッジする人間として私はされる人間として位置ずけを認識していた。
立場としての。
なので、向こうの方が格上の人物で自分は選ばれる人間として下に見ていたのではないか。
引け目に思っていたのではないか。
そして、おばたちに認められないことで、自分が嫌われてい事で、私が悪いことの様に思い、私に原因があると、価値を持てないことと思い、私が悪いとして毒親たちに対して小さくなっていた様に思う。
で、それを感じて奴らは、自分たちが上に立てている、強い、明るいとして異様に喜び、今までは自分たちは、親や皆に馬鹿にされてきたので生まれて初めて、馬鹿にできる、下に思える人間ができたこと、また、自分たちを怖がり、選ぶ、ジャッジする人間としてみてくれる人間ができたことで、自分の方が下だと思ってくれる人間ができたことで嬉しくてたまらないという感じだった。
人生薔薇色になったと。
私ら姉妹の存在によって。
思う存分にいじめられる人間ができたことで。
そうすることで、毒母も喜んでいるから。
誰も文句を言う人がいないから。
その喜んでいる毒母と毒叔母を見て、(当時は喜んでいるとはっきりと認識していない)
それが姉妹の仲の良さみたいに勘違いを当時から毒親たちはしていたので、そうなのだと思っていたし、あれが普通の姉妹と、そして明るいと自分たちは明るいと、私たちは怖がっているので暗い人間として馬鹿にしていたので、
あの人たちは明るい人間で、自分たちは暗い人間として卑屈に思い、向こうを完全に上に見ていた。
でも、そう思っていることは、完全に自分でも自分の思いを自覚していなかった。
ずっと。
なぜか?
強い人間でないといけないから。
自慢できる、人に優越するためのできるための、強い人間でないといけないから?
向こうを上に見て、自分はしたと思い、卑屈に思っていたなんてことは弱いことだと思い、自分で認められなかった?事実と思いたくなかった?
そんな自分が自分で認められなかったから?
毒親や毒叔母を非難する様なこと、嫌がることを思ってはいけないから?
そう思っていることが毒親たちが嫌がるから、思っている自分が悪いことの様に思い、自分にも隠しきた?
無意識の中で。
毒母全ての人間関係において同じパターン。(身内のみだが)
家でも、叔母たちにも。
強い方につき、その人と同盟を組んで私たち娘を馬鹿にしたがる。
いじめたがる。
で、同盟を組んでいることで仲が良い、明るい、自分たちは元気、落ち込んでいる怖がっている私たちは暗い、弱い人間として馬鹿にして、自分たちが上として、自信が持てると喜んでいるパターン。
同盟を組むことで仲良しと勘違いをしている。
完全にいじめの世界。
毒親だけでなく、毒叔母、毒叔父たちにも恐怖におののいていた姉妹
子供の頃に憂鬱なことがあった。
とにかく憂鬱で仕方のなかったこと。
多分、私の子供の頃で一番、最大の憂鬱なことだった。
それは、親戚の人たちと会う事。
親戚の人とは、母方の祖母と祖父の家に行くこと、祖父が家にくること。
父方の実家に行くこと。
最大に嫌だったことは、母方の兄弟たちに会うことだった。
とにかく嫌で仕方なく、うつ病になるぐらい憂鬱なことだった。
親は私にとってどうすれば良いか幼児の頃から攻略ができていたが、特に母方の兄弟(叔父、叔母)たちは、異様に私たち姉妹を嫌っている、意地の悪さを感じて、とにかく好い気になるなと、上に行くなとこのままダメになれという物凄い明るく楽しく生きさせたくない、人としてぶっ殺したいという意地の悪い思いを感じていて、物心がついた時から恐ろしくてしょうがなかった。
姉妹揃って怯えていた。
今にして思うと、毒母の兄弟は私が生まれる前から本当は仲が悪く(本人たちは全く自覚をしていない)、多分私ら同様に親に贔屓をされて育ったのだと思う。
優劣を兄弟間でつけられて育ったのだと思う。
だから本心では毒母が幸せになることを怖がっている。
毒母は、私らがもし、世間的に優越できることをしたら、それで自慢したいという、それによって自分に自信を持ちたいという願望があるのを叔父、叔母たちは強く感じていた。
毒母は、自分の娘によって自分のクソ人生を人に優越できるものに変えたいと、私らを自分の人生と勘違いしていたので、
もし、私たちが、明るく、自信を持って生きる人間、人に優越できる人間となると、毒母が兄弟たちに自慢をしていい気になる。
優越してくるのが兄弟たちにとっては恐ろしいことなので、絶対に毒母は自慢してくるから。
それによって、祖父たちにも認められることで自信を持たれると、自分たちが自信をなくしてしまう。
つまり、毒母の家族は、祖父たちがエコひいきをして育てられ、祖父に認められると自分たちに自信が持てる思考回路。
そしてお互いが自分が優れていると競争しあっていて、自分の方が上ということで自分に自信が持てる思考。
なので、相手を落とすこと、相手が落ちることで自分が上に立てて自信が持てる。
だから、兄弟がいい気になると自分が見下され、下になってしまうので、最大に面白くないこと。
絶対に阻止したいこと。
要するに、相手の不幸を願っている兄弟間。
異常に嫌い合っている兄弟。
が、本人たちは全く自覚していない。その自分の本心に。
私たちの様に上っ面で会話をして、そのことで普通の仲の良い家族と勘違いをしている家族。
その、毒母の私ら娘によって自分のクソ人生を自信のあるものにしたい、娘の人生=自分の人生と勘違いをしている
娘によってなんとか自信を持ちたい。
兄弟たちにも優越したい、
今までと違い、上に立ちたい。
というのを兄弟たちは感じて、絶対にそれを叶えさせたくない、阻止したいという自分の自信に関わること、自分の人生に関わることだから、絶対に毒母の思い通り、願いを叶えたくないという強い思いを感じていた。本当は。無意識のうちに、
だから、絶対に私たちを毒母の望む様に、明るい、堂々とした、苦労のない、自信を持った人間にしたくない。
そうなるのが怖くて仕方ない。
毒母に優越されるから。自信を持たれて自分たちが上にならなくなるから。
だから、私たちには、絶対に人として死ねと、暗い人間、自己卑下する弱い人間、上に行くな。いい気になるなという思いを感じた。
姉は完全に親に嫌われて自己卑下して死んでいる。
でも、私は親に贔屓されていると感じる。特に毒父に。
それを兄弟たちは感じて、姉の方をわざと私の前で贔屓するのを感じていた。
わざと、私を嫌い、姉の方を私前で贔屓する意地の悪さ、意地の悪い根性を感じていた。
幼い頃から。
親に贔屓されている私が兄弟(叔父、叔母)たちにとって、面白くない、私が自分に自信を持って明るく生きること、毒母が望む様な自信を持てる様な明るく、世間に優越できる様な人間に育つことが兄弟にとって怖くて仕方ない。絶対に阻止したいこと。
なので、姉はもう死んでいる毒親に殺されているから、暗い人間、落ち込んでいるから兄弟にとってはOK、願い通りの人間だけど、私は毒親に好かれているから脅威。
このまま自分に自信を持って、堂々とする人間になることが怖い。
それによって毒母がいい気になる、自分たちに対して優越して馬鹿にされ、自分たちが上に立てなくなる自信をなくすのが怖い、好かれているけど、いい気になるな、上に行くなという物凄い嫉妬心、私がこのまま自分に自信を持つ人間になるのが怖い、堂々とされるのが怖い。絶対に上に行かせたくない。
ダメ人間になれ、暗い人間になれというぶっ殺したいという思いをすごく感じて、面白くないという思いをすごく感じて、とにかく親と同様に人としての異様さを幼い頃から感じて、とにかく怖くて仕方なかった。
完全にいじめの精神。いじめの世界。
人として殺したいという思いを、上に行かせたくないという思いを強く感じたのでとにかく怖くて仕方なかった。
そして、私の前では、私は親に好かれているから自信をこのまま持たれて、自信のある人間に育つのが恐ろしいからワザと姉と贔屓してみせるという意地の悪さをいつも感じていて、とにかくその嫌味な根性、意地の悪い根性が怖くて仕方なかった。
物心がついた時から。
そして、なんで毒親には姉より私の方が好かれるのに、叔母たちには姉の方が好かれるのかが不思議に思っていた。
ずっと。幼少期は。
毒母もそれを思っている様で、姉の方が好かれると。
不思議と。
それを感じていたし、なんでかと思っていた。
毒母は、人に好かれていると私を認めるという考えを持っていたので、叔母たちに嫌われているから私を認めない。
という考えをしていた。もちろん口に出しては絶対に言わないがそう考えているのを感じていた。
だから私は叔母たちに嫌われていることを、私が悪いからとして思い、だから毒母に認められないこと、毒母にとっては兄弟たちが絶対で、(大人だからまだ赤ん坊の私たちより強いからそっちにつく。身の保身の為に。強い方につく)
あと、多分兄弟で優劣があり、そう育てられてきて、兄弟たちを上としてみている。自分より、
上下関係の様なものが兄弟間であった様。
だから、毒母にとっては私たちより兄弟の方が大事といういしを強く感じていた。
そっちの意思の方が絶対と。
とにかく強い方につくという毒母。自分の身の保身のために。
絶対に娘の方にはつかない。
味方にはならない毒母。
だから完全に兄弟たちの方についていて、強い方についていて、兄弟たちの考えが毒母にとっては絶対の様だった。
だから、私も自分より兄弟たちの方が上というか、大事、強い人間、立場という様に思っていた。
向こうの方が大事な存在。私より、向こうの意思が大事、絶対的なものと、だから向こうより自分が人として下、
負けている、こっちはどうでも良い存在の様に自分の中でもむこjに対してひげしていた様に思う。
向こうに認められないから、毒母は私を認めない、だから私は叔母らに認められないといけない立場、評価される立場で、向こうは評価をする立場という様に、自分の存在を選んでもらう立場の人間の様に考える様になっていたのかもしれない。
向こうが絶対者で、こっちはそれに選ばれる人間と。だから向こうの方が上として考えていたのかもしれない。
だから向こうに対してコンプレックスを持ち、立場として下に思い、自信を失っていた様に思う。
あと、意地の悪さ、絶対に上に行くなという意思を感じて恐怖におののいていた。
その私らの怖がっていることや、毒母は自分たちの方についていることを兄弟たちはめちゃくちゃ喜んでいた。
毒母も。