自分の本心、本当の感情に私自身が全く気づかない人生。もはや私が私ではない。魂の抜け殻。毒親の都合の良いロボット

毒父のことを物心がついた時から本当は恐怖に思っていた。

きちがいっぷりを感じて、本能的に、だが、そのことを全く自覚していなかったが何故か?

 

幼少期は、家の中のとにかくあまりの恐怖心からとにかく、毒母の言う通り、望む通りにしようとしていたのかもしれない。

赤ん坊にとって母親は絶対者で、絶対に言うことを聞こうとする。

100%母親の言うことが全てと言っても過言でないくらい、赤ん坊の頃は母親が絶対者。

その毒母が望むことをしようとするから、自分のいしを自分の中で無視して毒母の望むことをしようとしていたからではないか。

そう言う思考回路をさせられなかったから?

その純粋な気持ちを毒母のいい様に利用されたのだと思う。

 

とにかく毒父を嫌ってはいけないから、何をされても、だからその自分の考えに気づいてはいけない。

絶対的に。

あまりの恐怖心から同市なければいけないかばかりを考えていて、自分の本心に目を向ける思考回路をしてこなかった、できなかったのだと思う。

 

私の中で私のいし、考え、感情が主体となってはいけない。

毒親の考えが主体で、毒親が何を望んでいるかを常に気にしてそれを叶えなければいけない。

 

多分、幼い頃は尋常でない恐怖心を持っていたと思う。

親に対して。

親戚に対して。

相当怖がっていたと思う。

本当は。

その本心を自分にも隠していた、気づけない人生だった。

全く普通の家族として世間に示すために、

親の願望を叶えるために普通の家族と思っていた。

 

1つ言えるのは、姉が親を怖がっている、喋らないのを暗い人間として完全に見下して虫けら扱いをしていた。

虫けら扱いをしても誰も文句を言う人はいないから、毒親のパラダイスの相手だった。姉は。

したい放題。

そう、私たちは何をしても誰も文句を言う人はいないから、毒親にとってサンドバックにできる物体。

人間じゃない。

物。

完全にどうでも良い人間として見下していた。

 

 

姉が毒親を怖がっている、喋らないから、暗い人間だからということで姉を弱虫として毒親は馬鹿にしていた。

 

毒親はとにかく弱い人間を馬鹿にする、見下す考えを持っていて、例えば泣くと弱虫として馬鹿にしきっていた。

姉はよく子供の頃に親の前でも泣いていたが(泣かされていた)、泣くと、弱虫な人間として更に馬鹿にして嫌っていたので、(毒父が)それを見ていて、私は死んでも親の前ではなくものかと物心がついた時から思っていた。

例えば感動するテレビを見て泣いただけで、弱虫として馬鹿にしてた笑って喜んでいる毒父。

馬鹿にできることが嬉しくてたまらない様に。

今まで自分が人に馬鹿にされてきて、傷ついてきたから、逆に人を馬鹿にすることで上に立てた様な気分がする、偉くなった気分がするかの様に、馬鹿にできる人間がいることが嬉しくてたまらない様に非常に喜んで馬鹿にしている毒父。

 

そうやって喜んで馬鹿にしている毒父を見て、完全に弱虫のレッテルを貼られて姉は傷つけられていたので、とにかく私は死んでも親の前では泣かないと思っていたので、物心がついた時から親の前では泣いたことが一度もなかった。

テレビを見て感動して涙が出そうになることは多々あったが、親がいると、必死で他のことを考えて絶対になくものかと思っていた。

だから、泣きそうになっても泣かない技術はかなり長けていた。幼少期から。

 

そう、親は弱虫を馬鹿にしていて、強くないといけないと言う考えだったから、親を怖がっていることや親戚を怖がっていることを=弱虫扱いをしていた。

姉のことを。

 

だから、私は親を本当は怖がっていることを自分にも隠していたのかもしれない。

弱虫と自分に認めたくなくて。

怖がる=弱虫と自分も思い、そのことが自分にも認められなかったのかもしれない。

 

私は泣かないと言うことを当時から認識していたか?

 

それだけ強い人間ということで、そのことは認識していたかもしれない。私は姉と違うと。姉はすぐなく弱虫だけどと。そのことで自分に自信を得ようとしていたかもしれない。

 

でも、その理由が姉の様に親に馬鹿にされるからというのはあまりよくないこととして、多少の自覚があったのかもしれない。

私は姉と違う。ちゃんと計算ができる人間。そういう私の様な変な優越感の様な。

 

でも、そのことを親には話すことは絶対になかった。

私は親に話す内容を常に計算していた様に思う。物心がついた時から。

毒母は、自分が楽しくなること、気分が良くなること以外のことを私が話すと、そんなことを自分は望んでいない、面白くないという様にあからさまに不機嫌な態度を示していたので、毒親が望まないこと、楽しいと思わないこと以外は絶対に話さない様にしていた。

毒母が喜ぶ、望むことのみを話す様に無意識にしていた様だ。

 

だから常に何を話すかを計算していたみたい。無意識に。

なので、その様な毒親に馬鹿にされる姉を見てきて私は泣かないなんてことは毒親は絶対に望まない事実なので話そうとすることがあるわけもない事実だった。

 

毒親が望まない事実なので、嫌がることなので、まるで私が悪いことをしている、悪い考えの様に思い、自分の中でもその事実を悪いこととして隠していた様に思う。

 

まるできちがいの相手をするホステス。

仕事をしているかの様な幼少期だったと思う。