毒親に贔屓されている私が憎たらしい、私が明るく、堂々と普通に生きる人間になるのが恐ろしく、それを阻止したい毒叔母たち
とにかく絶対にお前は上に上がるなという、いい気になるなという毒叔母たちが怖くて仕方なく、会うのが憂鬱で仕方がなかった。
毎年お盆と正月に島根の実家に大阪から毒叔母は帰省してきていた。
もう一人の叔母は、近くに住んでいたので、実家にお盆とお正月に来ていたし、毒親が家を建ててからは毎年毒叔母たちが来ていたが、とにかく毎年、お盆と正月が嫌で仕方なかったし、叔母たちに会うのが嫌で、憂鬱で仕方なかった。
本当にうつ病になりそうなぐらい嫌だった。
でも、そう思っていることを自分にも隠してきていたので、自覚していなかった。ずっと。
姉も会うのを嫌がっているのを感じていた。
が、そう感じていることを自分にも隠していたので自覚していなかった。
とにかく会うのが憂鬱だったのに、そう思っていることを自分にも隠していたのは、そう思ってはいけないと、嫌がってはいけないと毒母が責めるから。
もちろん、口に出してはっきりと毒母は自分の本心を言わない。
はっきりと言わないから、自分はそんなことは言っていないと逃げ道を作る、そのために言わないが、そう思っていること、そうさせようと遠回りに、嫌味などでそう思わせようとする。
その自分の思いを伝えて、思い通りの思考をさせようとする。
だから、それを受けて、はっきりと口に出して言われていないからそんなことは毒母は言っていないと、私がおかしいと毒母が責める様に自分がおかしい様に思っていたが、口に出してはっきりと言われなくても、遠回しに言われたり、他の言葉などでそう感じたのだから。
そう、私がそう感じたこと。
そう思っていると。
それをどうのと言われても、私がどう感じたかということは事実なわけなので、他人が否定するものではないと思う。
そうやって、私がどう思ったか、感じたかまで善、悪でいちいち文句を言ってくるのが毒母。
よって、私がどう思うべきか、どう考えるべきかとばかりに考えて、自分の本心が自分にも全くわからない人間になったのではないか。
私がどう感じたかは、1つしかないはず。それは私にしかわからないし、人が他人が、どうのと判断することではない、思考の自由まで奪う権利は誰にもないはず。
私が私で無くなる。
私の意思が全く自分にもわからないと。生きている価値、意味が全くない。
完全なる毒母の都合の良いロボット。
だから、嫌っているということ、会いたくないということを自分にも隠してきた。
そんなことを思うと、毒叔母たちが嫌がるから。
悲しむからと毒母が私たちを責めるから。
責めると思うから。
会いたがっているのに!と。あれだけ可愛がっているのに。よくしてくれているのに!とそう思うこっちがとんでもなく悪者の様に責めるから。
毒母の望む理想の家族、普通の家族と世間に示す、毒叔母が望む家族、仲良し家族ができなくなるから。
だから嫌という思いは、自分が悪いことを思っていると思い、毒叔母たちにとって、嫌な思いをさせるから、自分にも隠してきた。
それに毒親たちを怖がっていることは弱虫だから、そんなん自分と思えずにいたから、自分にも隠していたと思う。
そしてやたら毒母は叔母に合わせたがっていて、行くのが嫌で仕方なかったが、嫌とは絶対言わせなかった。毒母たちは。
姉もすごく嫌がっているのを感じていたので、私もすごく嫌だった。
けど、会いたくない、行きたくないとは絶対に言えなかった。
姉は完全に毒親にいじめられて、何も言えない状態だったので、何をされても我慢していたので、何かが言えるわけもなく、
ましてや行きたくないなんて言ったら、毒父に何を言われるか、想像がつく、とんでもないクソ人間扱いをされて益々嫌われるので、反論なんかできる環境ではなかった。
なので姉が何かをいうことは絶対にない。
私も嫌なんていうと、絶対に毒叔母は会いたがっているのに!とんでもないやつ!と毒母に非難されるのがわかっていたので、毒父も嫌がるので、無理な要求として最初から望みもしなかった。自分の中で。
絶対的に合わなければいけないことと思い、物心がついた時からなので、毒叔母や毒祖父たちと会うのは。
というより、生まれる前から会っているので。
もう、合わなければいけないこととして、やたら合わせたがっているのを感じていたので、絶対に合わなければいけないことともう、最初から諦めていた。願望を持つことすら諦めていた様に思う。
人生に絶望しきっていたと思う。
何も自分の願いは叶わないと。