絶対に私に明るく堂々と生きる人間に育って欲しくない毒叔母たち。そう育つことを恐怖に思っている毒叔母たち。

特に叔母2人が物心がついた時から怖くて仕方なかった。

私が7歳の時に家を建ててから毎年お盆とお正月に我が家に家族全員で来ていたが、それが憂鬱で仕方なかったし、正直来て絶対的に欲しくなかった。

とにかく憂鬱、うつ病になりそうなぐらい嫌だったし、とにかく憂鬱なことだった。

その時の人生で一番嫌だったことが親戚に会うことだった。

子供の頃を振り返ると。

同じ島根県内に住んでいるおばも同様の人間で、幼少期から会うのが嫌で仕方なかった。

近くに住んでいたので、お盆や正月以外にも会っていたし、家に来ていたがとにかく会うのが憂鬱で仕方なかった。

そう、今振り返ると、当時、幼少期の一番嫌だったことが親戚に会うことだったと思う。

特に叔母二人に。

家は、当時本当は怖かったと思うが、嫌とかなんとか思うことは全くなく、そんな感情を生まれた時からあの家なので、そんな感情を持つ以前、

家はなんとか攻略できていたが、叔母は攻略できなかったので幼少期からふしぎに思っていた様に思う。本当は。

そう、私にとって、人付き合いは毒親との付き合いからいちいち攻略するものと思っていた様である。

そういうものと。

 

とにかく、叔母二人が一番幼少期怖くて怖がっていた。

それは、姉も怖がっていると感じていたから私もそれを感じて怖くなっていたと思う。

 

なぜあんなに怖がっていたか?

 

とにかく意地の悪さを感じていたから。

私らに対する。

私らのことが大っ嫌い、完全に上から目線で、憎しみを感じていたから。

その人としての異様さ、叔母、実の叔母なのに、あの感情を持っている人としての異様さを感じて怖かったのだと思う。

特に幼児期は、異常に怖がっていた。

そう、毒父に対する恐怖心と似ているかも。人としての異様さを感じて異常に怖かった。

本能的に。

 

あの叔母二人はそっくりで、私が毒親から、毒父から気に入られていることが面白くないという感じで、贔屓されていることで私が自分に自信を持つ、明るい人間に育つことが恐ろしくて仕方ないという感じだった。そのことに恐怖を感じているという。

毒母は私たちによって自分のクソ人生を自信のあるものに変えたいという、自分に自信を持ちたいという、私たちの人生を自分の人生の様に依存していたので、それによって自分の自信を持てるかどうかにかかっている、人生を賭けている様な、だから、私たちが世間に優越できること、自慢できる人間になることに自分の人生を賭けているのを叔母たちは感じて、そうなると、今までは自分たちが上だったのが立場が逆転すると(多分親に優劣をつけて育てられている。贔屓をされて育てられている。実はひどく傷つけられているがそのことに気づいていない)

毒母に娘のことで自慢されて、自信を持たれるのが自分たちに優越されるのが恐ろしくて、絶対にそれを阻止したいと、

毒母に対する、毒母の願望を阻止するために、思い通りにさせたくないため、

私たち娘が自慢できる人間になると、毒母の株が上がるから。

そう、毒母への嫌がらせのために私たちを思い通りにはさせたくないという、自分たちの自信にかかっている、人生がかかっているから、絶対に阻止したいという強い怨念、執念、思いみたいなものを感じてとにかく恐ろしかった。

 

だから、私は親に贔屓されている、私は親に明るい人間と思われていのを感じて、(姉と比べて)親に普通の人間と思われているのを感じて、叔母たちは脅威を感じて、面白くないと、嫉妬心みたいなものを感じていた。親に気に入られているのが面白くないと。

そしてこのまま、毒母が望む様な人間、毒母が自分に自信をま乙、自慢に思える、優越する様な人間に育つことが怖くて、絶対にその思い通りにさせてくないという、阻止したいという思いから、いい気になるなと、このまま明るい人間に育つなと、自分に自信を持つ人間に育つなという強い嫉妬心、ぶっ殺したいという強い憎悪みたいなものを感じてとにかく恐ろしかった。

姉はもう死んでいる、暗い人間だからOKだが、私は違うと思っている様で。

だから、絶対に阻止したいという思い、憎悪を感じて怖がっていた。

 

そして叔母二人は今思うとそっくりな行動、言動をしていたのだが、私の前ではわざと姉の方を贔屓して、(私への嫌がらせの為に。当てつけの為に)姉の方へ優しく接しようとする意地の悪い意思を感じていたので私は物心がついた頃からすごく怖がっていた。

 

私が親に気に入られているのを感じて面白くないからと、私を阻止する為にわざと姉の方を贔屓するという、私を傷つける為、暗い人間にさせるための嫌がらせをわざとするという、根性を感じてとにかく怖がっていた。

 

私たちと話す時もとにかく偉そうで、特に大阪に住んでいる叔母がとにかく偉そうで、私たちと話す時は、上から目線。

大阪という都会に住んでいることだけで、すごいこと、えらいこと、尊敬することの様に毒母や毒祖父たちは思っている様で、自分たちは島根県という田舎に住んでいることで、自分たちの方が下で、都会に住んでいるだけで上の様な考えを持っていて、田舎に住んでいることを卑下しているようだった。

だから、自分たちは田舎に住んでいるから下だけど、叔母は大阪に住んでいる、都会に住んでいるから上という考えを持っていたから、叔母たちをすごい人間の様に思っている様で、自分たちを下と考えている様だった。

叔母も自分は都会に住んでいるから上として、私たち田舎暮らしだからと馬鹿にして自分の方が上として上から目線で威張り腐っている様で、毒母も自分が下で、都会の人は上とみていたので、私もそうなんだと、そういうものなんだと思っていた様に思う。

田舎者をバカにす様な考え。

 

大阪の叔母は、多分、毒母より上だと思って育ってきていた。

自分の親に優劣をつけられて。

叔母の方が贔屓されて育ってきた。

だから自分の方が毒母より上だという思いがあり、お前はそういう人間じゃないんだと、お前は下の下僕の人間なんだという様な感じで、私に対して、親に気に入られているけど、下僕なんだという感じでものすごい自分が上なんだという感じで、絶対に上に行くなといい気になるなと、私が明るく育つのを恐怖心を持って、ものすごい上から目線で、偉そうで接してきていたので、とにかく恐ろしく、恐怖に感じてそして叔母は偉そうだから、えらい人間の様に毒母は思っていたので、その様に、そうなんだと同様に私も思っていた。

 

そして、私らの前では、偉そうで、嫌味ったらしい叔母だったので、いじめられる、自分を上に見てくれる人間、それによって自信を持てる、自分を認められて、こんなの人生で初めて!という様に非常に喜んでいたので、それを明るい人間として、元気な人間として毒母は思っていたのを感じて、だから、あれで明るい人間なのだと、内容は関係なく、喋れば明るい人間なのだと思っていた。

 

で、叔母は明るい人間で(私たちの前では偉そうで、上から目線で、完全に下に見ている、いじめられる人間、自分を怖がっている人間、上に見てくれる人間ができたことが嬉しくてたまらない、こんなの人生で初めて!と喜んでいるからこれが明るいとして毒母は思っている様だったので、私はそうなのだと、叔母はあれで明るい人間で、嫌味だろうがなんだろうが、喋れば明るい人間なのだと、で、私は怖がっているので、暗い人間として、バカにしていたので、私は怖がっているから暗い人間なのだと思い、自分がダメ人間の様に思い、自己卑下していた。

そして、おばや、毒母は怖がっているからとバカにしていたので、それを感じて、毒母たちに対して、小さくなっていた。私はバカにするべき人間、ダメ人間だからと。引け目に感じて、萎縮していた。

そしてそう見て、いかにも自分たちは上として喜んでいる毒母たちに対して、完全に小さくなって、萎縮していて、自分たちが悪いことをしている様で、バカにしている、偉そうな毒親たちに対して、向こうが上として、こっちはしたとして卑下していた。

そう、自分たちが悪いことをしている様で、ダメなこと、バカにするべきことをしていると思い、怖がっていることで弱虫と見ていたので。

 

怖がっていることは弱虫なので、それは一番バカにするべきことなので、そうやって怖がっている自分や、毒叔母たちに対して萎縮している、怖がって、自分が下になっている自分は弱くてダメなのことなので、その事実を自分に認められなくて、自分の本心を自分にもずっと隠してきた。

絶対に認められない事実だった。

 

 

ずっと、あの二人は偉大な強い明るい人間としてずーっと上に見ていたから萎縮していた、偉大なすごい人間像に思っていたから、不思議でしょうがない。

毒母が私たちたちが異様に怖がっているのを感じて、だからあの二人は強い、明るい、すごい人間として思っていた様。

毒父と同じ様に。

いじめる人間が強い、明るいという世界。

オウム真理教が話題になった時に、家と同じと思っていたが正に似ていると思う。世界が。

キチガイほど偉大とされる世界。

 

そう、毒母は、私たちが怖がっていることを感じて、おばたちは、強い、怖い、明るい人間として完全に認めていると感じていたし、怖がっているから私たちは弱い、くらい、ダメ人間、下に見ていたので、私も、叔母たちは強くて、明るくて、偉大な人間の様に、毒母が思っているのを感じたままに思い、怖がっている私は、弱くて暗い人間、下に見ていた。

そしてそんな人間であることはダメなので、強くて明るくないといけないから、そんな人間である自分がダメ人間の様に感じて自己卑下して、そう思っている事実を自分に隠していた。

人を怖がる=暗い、弱い人間で人として認められないから、自分はそんな人間ではないと思うため、認められないため、自分にもその本心を隠していた様に思う。

その事実が自分に認められなかった様に思う