毒叔母達、親戚達よりも他人の方が一緒にいて良かったはずなのに、当時そう思っていた記憶がない。何故か?

私の幼少期で一番恐怖に思っていた人、憂鬱だった事、人、とにかく怖がっていた人は、母方の叔母二人と、めったに会わなかったが、母方の叔父一人(この人は大阪に住んでいて、幼稚園ぐらいまでに何度かと小学校低学年くらいに1度くらいしか会った事がないから、まだ良かった。被害が他の叔母より少ない)

 

他の人、学校や近所で会う人や父方の叔父や叔母や従姉妹(年が私たちよりかなり上だったのですでに大人だった。当時)に対しては、あんなに恐怖心を持っていなかったが、母方の兄弟特にあの二人。叔母二人に対して異常な恐怖心を持っていたのは、何故か?

 

他の近所や学校で会う大人や人には全く恐怖心を抱いていなかったのに。

父方の親戚達にも。

 

ものすごく嫌だったのは、母方の兄弟や親。要するに、私の叔母や叔父、祖父達。

恐怖心を持っていたのは。

 

母方の兄弟は、特に叔母二人は、私たちに対しての、ものすごく憎悪の念を感じていた。

当時。

こうさせたいという、自分の自信のために絶対に殺したいという、私たちに対する依存性、それが自分の自信につながる、命に繋がるから恐怖心からのいい気になるなという、このまま上に行くなという、気に入られて面白くないという、憎悪、意地の悪さ、姉をわざと贔屓してみせるという私たちを嫌う念をものすごく強く感じて、

ぶっ殺したい、死ね(精神的に)、姉と同じようになれという、そうする事で自分たちは喜び、自信につながるというそれによっての自分の命、自信がかかっているから絶対的にそうさせたいという、私たちをこうさせたいという強い念を感じて、操作したいという念を感じて恐怖に思っていたと思う。

 

近所の大人や幼稚園、学校などでの大人はもちろん全く私に対しての憎悪の念やこうさせたいと、操作したいと思っている様な人はいなかったので、全く誰にも恐怖心を抱く事はなかった。

むしろ、他で会う人は皆、特に幼い頃は好意的な思いで近づいてきてくれていたので、恐怖心を持つ事はなかった。

全く。

 

だから私は、ずっと他人が好きなのだと思う。

家族というものがこの世で一番怖い。

だから結婚なんか絶対にしたくないと若い頃から思ってきた。

他人がこの世にいなかったら、私の心は完全に死んでいた。

殺されていた。

他人の存在があったからなんとか生きて来られたと思う。

が、毒親達は、自分たちのお陰で大きくなったのだから感謝しろと、感謝を要求する。

そして私は毒親のいう通りに感謝をしなければいけないのかと、感謝をしない私がとんでもない悪い人間の様に思い、毒親を上に思い、自分が卑屈、下になっている。

 

完全に、生まれた時からこの関係なので、洗脳されている。

 

今思うと、他人の方が嬉しいはずだったのに、あまり、どう自分が思っているとか当時、気にした事が全くなかった様に思う。

明らかに、親戚よりも他人の方が良かったはずなのに。

自分が好きか嫌いかとか、そういう自分視点で物事を考える思考回路が全くなかった様。

私の意思を自分の中で注視する思考回路は全くなく、他人にどう思われるべきか、好かれなければいけないというそうしないと、毒母は私を認めないから、それに必死だった?

命、自分の価値がイコールとなるから?

完全に受け身?

それよりも、怖がってはいけないとか、嫌ってはいけないとか、どうするべきか、どう考えるべきかばかり、毒母の望みばかりを、何が望みか、どうして欲しがっているか奴の考えばかりを気にしていたのかもしれない。自分がどう思っているかは全く無視して。

毒母がそれを望んでいるから。

 

嫌と当時気づいていないから。

叔母のことを自分が嫌だと思っていることに。

何がいいとか、自分の意思に全く気づいていないというか、無視している。自分の中で自分の意思はどうでも良いことになっている。

それに嫌ってはいけない、毒叔母が嫌がるからと毒母が脅迫するので(はっきりとそう口には絶対に出さない。そんなこと言っていないという逃げのために。遠回しでそう思わせようとする。)そう感じていたので、絶対に嫌がってはいけないという脅迫の思いを。それを感じて嫌ってはいけないと物心がついた時から思っていたので、何をされても絶対に嫌ってはいけない、

尊重しなければいけないと考えていた。

全て人に気持ちを一番に、自分のことはどうでもよくて自分の気持ちはどうでもよくて、他人の気持ちを、害さない様に考えなければいけないと思っていたので、自分が嫌っていること

にも、そう考えていることにも全く気づいていなかった。

 

自分の意思に全く気づいていないというか、そんなもの自分の中ではどうでも良いことだったので、あの人が嫌いとか良いとかの本心に注視すること、きにかけることが自分の中で全くなかった、意思を全く無視していた。

どう考えるべきか、どうするべきか、毒母は何を望んでいるか、そればかりを考えて、計算して生きていた様に思う。物心がついた時から。

 

毒叔母よりも、親戚たちよりも他人の方が断然私にとって良かったはずなのに、当時、そう認識していた記憶が全くないのが不思議。

当時の考えは?

 

嫌ってはいけないと思っていた。

毒叔母のために可愛がられている、よくしてもらっている、感謝をしなければいけないと毒母から脅迫されていたので、そう感じていたので、その考えを感じていたので、そう思わなければいけないと思っていたので、本当にあれで、あれが可愛がっていると、私は可愛がられていると叔母達に、親戚たち全員に。

よくしてもらっていると、感謝しなければいけないと大人になっても、ずっと思っていた。

あれで可愛がられていることだと。

よくしてもらっていると。

 

完全に親戚達よりも他人の方が当時ましだったと思うが、当時、そう思っていた記憶が全くない。何故?

 

当時どう思っていた?

叔母達のことは可愛がられているとあれで、思わなければいけなかったし、そう毒母に脅迫されていたので、大人になるまでずっと可愛がられてきたと、よく思っていたし、毒叔母の気持ち嫌がらないために、気分をよくするために、

自分の意思が当時全く、なかった、感情が全くなかったから?自分の中で。

本心がなかった。何が本心か、自分にも全く気づいていなかった。

 

学校に行ってからは、〜しなければいけないばかりで、毒母の思いから、何をしても義務感で全く楽しくなかったが、楽しめなかったが、幼児期も他人の方が良いと思っていた、感じていた記憶がない。何故?